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『台』から、すべては始まった

2026.02.12

シベリアから復員後、
祖父・小村清一は、元手のいらない商売として
カメラの修理業に携わっていました。

壊れたものを直す。
当時の状況を考えれば、
それは現実的で、理にかなった選択でした。

しかし、祖父の中には、
次第に別の思いが芽生えていきます。

修理だけで終わるのではなく、
本格的なモノづくりに取り組みたい。

そうした折に目にした製図台の有様を見て、
「何とか 良い製図台を作ってやろう」と、
ファイトを燃やして取り組むことになります。


製図機械は、大きく分けると
三つの要素から成り立っています。

機械、図板、そして台。

このうち、
図面の精度や操作性を直接左右する
機械部分については、
すでに高い完成度に達していました。

それを手がけていたのが、
―M社― です。


M社では、昭和二十八年頃から
製図機械の機械部分を製造しており、
その製品には
「ドラフター」という名称が付けられていました。

この名称は、
やがて製図機械全体を指す言葉として
使われるようになります。

特定メーカーの商品名が
一般名詞のように定着するほど、
現場で評価されていたということでした。


ドラフターの登場により、
製図作業の現場は大きく変わります。

それまで主流だった
T定規や三角定規、分度器による作業に比べ、
作業効率は飛躍的に向上しました。

図面の精度も、
従来とは比べものになりません。

昭和37年頃には、
トヨタ自動車から
一挙に1200台もの注文が入ったといいます。

造船、機械、建築、電機。
日本の製造業が急成長していく中で、
製図機械は、
その基盤を裏側から支える存在でした。


ところが、
そうした進化の中で、
一つだけ取り残されていた部分があります。

『台』です。

当時の製図台は、
鉄パイプを溶接しただけの構造が一般的でした。

高さの調整はできない。
図板の角度も変えられない。

使い勝手が良いとは言えず、
運搬の際には
効率の悪さも目立ちました。

機械部分が一流であるがゆえに、
その下にある台の不便さは、
かえって際立って見えたのです。


祖父は、ここに強い違和感を覚えます。

なぜ、機械はここまで進化しているのに、
台は置き去りのままなのか。

カメラ修理という仕事を続けながらも、
本格的なモノづくりを志していた祖父にとって、
この状況は見過ごせるものではありませんでした。