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『ヤレば出来る』は、精神論じゃない。

2026.01.17

「ヤレば出来る。」

今の時代に書くと、少し古くさい言葉かもしれません。
根性論だとか、昭和だとか、そんな声が聞こえてきそうです。

でも、この言葉を本気で生き抜いた技術者が、コムラ製作所の創始者でした。

1994年4月9日。
科学技術週間の記念講演で、祖父・小村清一は、自身の発明人生をこう振り返っています。

「これは多分に精神論的な、今時あまり受けない話ではありますが、
モノを作る時の心構えとして、いつの時代にも欠くべからざる原点だと思っています」

この言葉には、後付けの美談も、成功者の余裕もありません。
あるのは、「逃げ場のない現場で、やるしかなかった人間の実感」だけです。

祖父は、島根県の山奥で生まれました。
大工の棟梁だった父のもと、三男として育ち、尋常高等小学校を卒業後、大阪へ出ます。

入社したのは内田洋行。
ほどなく満州・大連の支店へ転勤となり、測量機械の調整を任されました。

今のような研修制度はありません。
マニュアルも、手取り足取りの指導もない。
先輩の背中を見て、技術は盗めという時代です。

そんな中、倉庫に積まれていた測量機の箱の中から、
一冊のパンフレットが目に留まります。

「測量機械調整の手引き」

おそらく、僻地向け製品に添付されていた簡易マニュアル。
それを頼りに、昼は仕事、夜は独学。
休みの日も、疲れた体に鞭を打って分解と調整を繰り返しました。

数ヶ月後。
祖父は、測量機械の調整技術を一通り、自分のものにします。

このとき身についたのが、
「教えてもらえないなら、自分で掴むしかない」
という感覚でした。

この考え方は、戦場でも、捕虜収容所でも、
そして戦後の製品開発でも、祖父を支え続けることになります。

「ヤレば出来る」とは、
前向きな掛け声ではありません。

やらなければ、生き残れない場所で、実際に“やった”人間の記録なのです。

——次回は、
「分解禁止」の機械を前に、
それでも「お前がやれ」と命じられた、戦場での出来事を綴ります。